日本は息苦しい

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日本は息苦しいとよく聞きますよね。そう思う人も多いと思いますけど、何が原因でしょうか?

色々な国に行って、日本に帰ってくると日本の特徴が見えてきます。人によって色々な見方があるので、日本はこうである!とはなかなか言えないですが、僕が感じるのは個人よりは社会が優先され、まぁ、いいじゃないの、という寛容な気持ちはあまりないというところです。他人にとても厳しいですね。

さて、その感じは一体どこからくるのでしょうか。そういう国民性は歴史と関係がある場合が多いと思うので、日本の歴史から現代の日本を考えてみようと思います。

僕はやはり戦争が今だに日本人の国民性に影を落としていると思います。

日本は息苦しい

息苦しさとは?

まず息苦しさとはどういう事でしょうか?人それぞれあるでしょうけど、簡単にまとめると以下のような事かなと思います。

  • 自分の意見が言えない。
  • 自分のやりたい事が出来ない。
  • 常に誰かの指示で行動している。

こんな感じかなと思うのですが、どうでしょうか。

もしこれが当てはまるなら、まあ、それは息苦しいだろうなと思います。では、一体何が原因なのでしょうか。個別には色々とあるでしょうが、少し大きな括りで考えてみようと思います。

日本は軍隊的?

以前、元巨人の桑田真澄が日本の野球の歴史について話していました。

野球は元々アメリカのスポーツなので、第二次大戦前に政府によって禁止される直前まで行ったそうです。そこで野球連盟は考えて、日本政府に対して野球は立派な帝国軍人を育てる上で非常に役に立つので、教育のために続けさせてほしいと懇願したとのこと。

それでようやく政府から許可されたのですが、それ以降、野球チームは兵隊になるための教育もかねて、軍事教練を取り入れました。

具体的に何がどう変わったのかはわからないのですが、僕はこれですぐにピンと来ました。というのは、僕は子供の頃に野球チームに入っていてリトルリーグとシニアリーグでプレイしていたのですが、丸刈り、整列直立不動、絶対服従、とかなり軍隊的でとても嫌だったのを覚えています。

リトルリーグはまだ子供ですからそれほど大変なこともなかったですが、なぜか丸刈りが絶対条件でした。試合前には審判にチェックされて髪が長いとダメ出しされるという、今から思うと意味不明なこともありました。

シニアリーグはとても軍隊的で全く面白くなかったですね。そういう時ってサディスティックな奴が上級生になると最悪です。野球よりも後輩を従わせる事の方が面白くなって、どんどんエスカレートします。

恫喝されたり、無意味にみんなの前で踊らされたり、柔軟体操と称して体重を使って無理やり体に負荷をかけられたりと、今から思うとめちゃくちゃでした。

なぜかこういう時はリベラルな人(自由主義な人)は黙るんですよね。サディストだけが声が大きくなるという。

野球は好きだったのですが、結局そういう軍隊的なカルチャーが大嫌いで、それ以降野球をやることはなかったです。僕と同じように、スポーツはしたいけど軍隊には入りたくないからスポーツを諦める人も多いかなと思います。

こんな感じで、日本社会はたくさんのスポーツの才能を無駄にしていると思います。

僕は桑田さんの話を聞いて全てに合点が行った気がしました。体育会的と日本では言いますけど、それって完全に軍隊から来ています。当時、野球は日本で一番人気のあったスポーツですから、他のスポーツも多かれ少なかれ影響を受けたと思います。

実は子供や若者に対する、こういう教育方法は一次大戦の時からありました。当時は普通の学校で子供達に軍隊教育をしていましたから、比較的小さい頃から軍人的な思想が叩き込まれていたという事です。

一見現代の日本社会には軍隊らしさはそれほど見えないかもしれませんが、何かしらの組織に入ると、今だにうっすらと軍隊の影が見え隠れします。

軍隊教育は個を潰す教育

ある程度お年を召した方は弛んでいる若者を見るとすぐに”徴兵だ!”と言ったりします。軍隊的な教育を施すと、若者は人のいうことを良く聞く、問題を起こさない素晴らしい人間になると思っているのかなと思うのですが、では、この軍事教育の何が悪いのでしょうか。

良い兵隊の絶対条件というのは、自分の考えを捨て去り、絶対服従することです。

例えばここに十人の兵隊がいたとして、何かの作戦を開始するとした時に十人それぞれが自分の意見を言い、自分はこうすると言い始めると軍隊として成立しませんよね。

例え全滅する可能性が大きいと予測出来ても、上官の命令に従って突撃出来なければ軍隊としては成立しないわけです。十人で行えば成功する作戦でも、そのうち四人が自分の考えで別行動を取れば、作戦が失敗して全員死ぬかもしれないわけです。

なので、どんなに理不尽に思われても”自分で考えるな!命令に従え!”ということを教育するわけです。戦争モノのテレビや映画で訓練中に上官が部下に向かって理不尽なことを命じて従わせたりしますが、それも大事な訓練の一つな訳です。

戦争の現場では、勝つため、生き残るためにはそれが正しいわけです。それが軍隊です。

その結果、どういう人間が出来るのかはすぐに分かりますよね。そのまま日本人の弱点だと言われている、自分で考えられない、自分の意見が言えない、問題解決能力がない、ということに繋がるわけです。でもそれは、兵隊としては正しい姿なわけです。

ただ、現代社会では、常に何かしらの指示が無いと自分で行動出来なくなります。要するに生きる力が弱いわけです。

戦後も残る戦争の亡霊

戦争が終わって日本は降伏し、日本国憲法を受け入れ、民主国家に生まれ変わったわけですが、かと言って、国民の間に根強く残っている軍隊的なやり方は変わっていません。徐々に変わってきてはいますが、まだ根強く残っていると思います。

電力会社の新人研修とか競輪学校の練習の様子、白バイの訓練とか、果ては外国人の農業研修でも日本の軍隊式が取り入れられています。テレビで見るたびに本当に恥ずかしく、夢を持って研修に来ている外国の若者には申し訳ない気持ちで一杯になります。

これが日本の全体主義の正体だと僕は思っています。儒教の教え(年上を敬え)というのもあると思いますが、戦争当時の軍事教練を今だに引きずっていることが大きな原因です。

一見日本は戦争からとても遠い平和な国のように見えますが、国民の心には今だに大日本帝国の亡霊が生き残っていて、人々の考え方は今だにとても軍隊的です。

全体主義と個人主義

外国と言ってもいろんな国があるので外国は〜なんて一括りには出来ないですが、僕が3年半くらいいたオーストラリはもっと個人が尊重されています。社会全体が個人のために存在しているという感じで、社会のために個人があるという感じではないです。

日本では規律を乱すものは死刑みたいな感覚はありますが、オーストラリアだと規律を乱すものがいるなら、その規律を考え直そうという意識があったりします。

まずは個人の発想や嗜好があって、それを最大化するために社会があるという感じですね。多かれ少なかれ、この感覚は白人の先進国には共通した考え方だと思います。

日本人目線から、よく欧米の個人主義を馬鹿にするような意見がありますが、個人主義と言っても社会を無視するわけではないです。個人を尊重しながら同時に社会に貢献する意識もとても高いので、個人と社会の主従が日本と逆だというだけです。

個人の幸せを追求するという意味では、個人主義の方が全体主義より遥かにマシだと僕は思っています。

フランスの教育は自分の意見を言う立派な個人を育て上げること

フランスは市民によるフランス革命を成し遂げた国で、支配階級と真っ向から対立し、力尽くで自由と権利を奪い取った国です。それ以降、支配階級ではなく一般市民が議論することで、その後の自由な社会を市民自らの手で作り上げました。

フランス人の友達が何人かいるのですが、議論すること、自分の意見を表明すること、権利を主張することに対して全く抵抗が無いどころか、それをすることが立派な人間であり当たり前のことである、と言った感じさえします。

特に女性はフェミニズムに対して非常に敏感で、話していて本当にびっくりするくらい意識が高いです。ドイツ人と話した時も思いましたが、社会や親からの教育がとてもレベルが高く、社会のあり方、人の平等とは、のような哲学を、どんな人でもかなり高いクオリティで自分の意見を言うことが出来るという印象があります。

フランスでは小学校でも常に自分の意見を表明し、他人と議論するということを頻繁に訓練します。確かにフランス人の友達は議論好きで、意見を戦わせることに全く抵抗がありませんでした。

こういう人がもし日本に住んだら、同年代からは面倒臭い人と言われ、上の世代からは生意気な奴と言われて、全く肯定的な印象はもたれないと思います。

もし日本でうまくやっている人がいれば、それは日本の何も言わない文化をよく理解して、そこに合うように意識しているのだと思います。

フランス革命は一般市民が自由を手に入れた、人類史上非常に重要な市民革命ですが、それを成し遂げた人々の子孫と日本人は相入れないわけです。

何が言いたいかというと、自由でいようとしている人や、自らの意思で行動しようとしている人に対して、日本人は知らないうちに最初から否定的な感情を持っているということです。

息苦しさとはマイルドな締め付け

最初に挙げた、息苦しさを感じる理由をもう一度書くと、

  • 自分の意見が言えない。
  • 自分のやりたい事が出来ない。
  • 常に誰かの指示で行動している。

人間は元々は自分の考えで、自分の好きなように行動するようにデザインされています。

そのために脳があって、目があって鼻があって言葉を話すわけです。同時に人間は群れを作って生きる動物でもあるので社会性、他との関わりを重視します。それでも基本は自分で考え、自分で行動するようにデザインされています。

人は生物としての本能レベルでは、きちんと生きる目的を持っています。

それは、なるべく長生きしてその間に出来るだけたくさん子供を作る、ということです。もちろん現代社会では他にもたくさんの価値観がありますので、必ずしもこの通りに生きなくても良いわけですが、本能レベルではそうなわけです。

そのために自分で考え、自分で行動することはとても大事な事でこれも本能なわけです。人間の体と五感と脳はそのために存在するわけですから、それを放棄することは死をも意味します。なので、精神的、肉体的に拘束されることを本能的に嫌うわけです。

幸せとは長時間持続する充足感だとすると、充足感は自分で考えて自分で行動して満足出来る結果を伴って、初めてご褒美として脳が作り出すものです。他人の指示に従っていると充足感は生まれません。

奴隷状態、兵隊状態でいるということを人は本能的に拒絶します。しかし、なんとなくのマイルドな締め付けであれば、すぐに逃げなければ殺されるというわけでもないので、それは”息苦しさ”と表現されるわけです。

息苦しさを脱するには環境を変えること

日本の中でも色々な世界というか、場所があります。とても軍隊的なところから、とても民主的な場所まで色々です。

もし息苦しいと感じるなら迷うことなく移動しましょう。我慢することはないです。自分がリーダーになってその場を民主化するという方法もありますが、ほとんどの人にとっては単純に移動して環境を変える事が最善だと思います。

最後に

結局は周りの環境です。人を生かすも殺すも環境次第だとも言えます。

よくダメなやつはどこに行ってもダメだ、と、訳知り顔で言う人がいますが、そういう人はどこにも移動したことがない人です。人は環境次第でどうとでもなります。周りを見回してため息しか出ないのであれば、ぜひ移動して環境を変えましょう。それが最善です。






Image by Linus Schütz from Pixabay

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